初めて、彼の事を知ったのは選手名鑑の中でした。
その時は高橋英樹さんも選手でした。

やがて彼は代走要員として1軍に上がり、内野やスイッチヒッターにも挑戦し、ものにしていきました。
私も同じ頃、外野手から内野に転向し、自分の可能性を模索してスイッチも捕手もやりました。
だから、彼は憧れであり、目標でした。

ハマスタでの横浜戦、9回に相手投手は佐々木。
家族が早く帰ろうと言う中、私は「塁に出なかったら帰るけど、塁に出たら最後まで応援する」といい、彼の打席を見つめました。
彼は何球も粘って、中安打。
結果は、試合は負けて電車も混雑、でも私は何か嬉しかった。

市民球場での試合、延長10回ウラ、彼の打った打球はレフトの前に落ち、ランナーを迎え入れてくれました。
サヨナラタイムリー。
その晩の市場のバイトは目茶苦茶ハイテンションで喉も脚もワヤでも、一生懸命働けました。

彼がカープを去った時も、新天地で頑張って欲しい気持ちと、衰えを隠しきれない悲しさと、複雑な気持ちを抱きました。



緒方の引退試合、狙いすました用にセンターへ上がった打球。

凡打にも関わらず満面の笑みで1塁に向かう姿、心に焼き付いています。


いつかは、カープの守備走塁コーチとしてコーチャーズボックスに立つ姿を想像して疑わなかったので、

貴方の死は、悲しくも、無念も、悔しさも、辛さも。

ただ、貴方の事を想い、貴方の描き切れなかった夢を想い、貴方の遺した想いが氷雨となって舞い散る中、若鯉達の姿に貴方を描きながら生きて行こうと思います。
そして、謹んでご冥福を祈ります。

足の速さは
誰にも負けない
疾風を切り走れ
木村拓也