長くて短い一年が過ぎました。
正直、記憶が薄れつつあるので備忘録。

20110311。
ちょうど、自分は栃木の支店と電話連絡をとっており、電話取り次ぎ保留中だった。
初期微動が長く、普通に震動1から2の地震だと思ったが、本震が来る。
とはいえ、人を呼び出してる以上、勝手に切れずにいると電話が繋がる。
「すいません、揺れてるんで切っていいですか!」
俺は当然「そーですよね!」とガチャぎり。
パートさん方がパニクる中、不思議と冷静に地震対応を思いだし、全員を逃がし、自分は緊急用に窓を開けて机の下に避難。
当日は仕事にならず、家族に無事を伝えるメールを打ちパート全員を帰宅させる。
携帯でテレビを見つつ情報収集する。
初期微動の長さと揺れの激しさから遠方での大地震とあらかたの予想はしていた。

=東北地方、震度7=

ここから先は被災地のことを考える間もなく業務に忙殺された。
この時点で関東地方発着の路線便は12時間抑止、東北方面は無期限抑止。
客への説明と今後の対応について忙殺された。
その頃、大津波が来ていたことを知ったのは翌日、仙台空港が使えないとの情報が入った時だった。